ウクライナから日本へ
日本の古典に記されている「本当の幸せ」を学び、世界から日本へ多くの人が駆けつけています。
今日は、日本から遠く離れたウクライナから来られたイゴリさんを紹介しましょう。
まず、ウクライナの位置はご存じでしょうか?
地図を参照ください。
ウクライナの首都「キエフ」はいわゆる古都で、京都市と姉妹都市です。
無意識の再発見
そのウクライナから日本に来られたイゴリさんは、意識のさらに奥にある心にとても関心を持っています。
世に「無意識」「深層心理」ともいわれますが、ウィキペディアには、こう書かれてありました。
ユングはフリードリヒ・シェリング(対象化された自己意識を「無意識」(独: Unbewusstsein 意識でないもの、独: Bewusstlosigkeit 意識を欠いた状態)とした)が西洋における無意識の発見者であるとしている。
無意識の領域を、簡単な表現で、「無意識(独: Unbewusste、英: the unconscious)」とも呼ぶ(ここでいう「無意識」は、「意識されていない心(英: unconscious mind)」などとは異なる概念である)。
ちなみに、AD4世紀頃現れた仏教の唯識思想、「唯識三十頌」では、前五識(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)と言う意識のほかに無意識とも解釈できる末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)という二つの深層意識層を想定した。(八識説)
20世紀の三大発見ともいわれる「無意識」ですが、実は、フロイトやユングより遥か昔に、仏教で無意識について詳しく教えられており、フロイトやユングは、西洋における無意識の「再発見者」といえましょう。
そしてユングは、こう言っています。
「人間がいったい何をしでかすか、われわれ自身何をやりかねないか、人々は戦慄をもって思い知らされた。(略) “人間は人間にとって狼である” とは、悲しいながら永遠の真理である」『現代史に寄せて』C.G.ユング著 松代洋一編訳
「疑いもなく、つねに人間の中に棲んでいる悪は、量りしれない巨魁なのだ」(『現在と未来』)C.G.ユング著 松代洋一編訳
心の悩み
幼少の頃から私の悩みは、ほとんどが内面のことでした。
「どうしてこんなささいなことで腹を立ててしまうのだろう」
「いくらひどいことをされたといっても、もう何年も前のことをどうして恨みつづけているのだろう」
「ちょっとくらい自分が損しても、相手に喜んでもらったらいいのに、どうしてこんなに自分を大事にするのだろう」
あまりにディープなことを書くのは今日は控えておきますが、いわゆる「自分が嫌い」で「自分を愛せない」人間でした。
そんな心を隠して生きていくのは苦しくいつも
「偽善ばかり」
「なぜ生まれてきてしまったのだろう」
「自分は人間の姿をしているが、間違って生まれてきてしまったのかもしれない」
などと悩み苦しみ、
「この内面の苦しみが解決されたら何もいらない」とさえ思っておりました。
実は、日本の古典『歎異抄(たんにしょう)』には、すべての人は「煩悩具足」であると書かれてあります。
煩悩とは、欲、怒り、ねたみ・そなみの愚痴、など私たちを、わずらわせ、苦しませ、悩ませるものです。
その煩悩のかたまりが人間だというのです。
これは驚きでした。
しかも、煩悩あるままで幸せになれる道が『歎異抄』に記されていることを知った日は涙が止まりませんでした。
自分も生きていていいのだ、自分も幸せになれるんだ、という言葉が頭の中で何度も繰り返されました。
善人が戦争を起こす
「俺が正しい、お前が間違っている」という善人が差別思想を生み、戦争を起こします。
「人間こそ最高の生き物で、すべてを治める立場にある」との傲慢が自然破壊をしてきました。
善人とは善人と自惚れている人。
二度の世界大戦の惨禍により、「我こそ正義、我こそ善」の傲慢は、いかに恐ろしい考えであったかが浮き彫りになりました。
戦争、紛争、いざこざに疲れた現代人は、心の平安を求めています。
どうすれば、真の意味で安らかな心になれるのか?
日本の古典にこそ、その解答が示されているのです。
イゴリさんも、西洋にではなく、東洋のこの日本に来られた理由も、そこにあるのでした。
ウクライナ、ロシア、日本の友人と