これだけ文明が発達したのに、人々は心からの幸せが感じられていないようです。
ここに幸せについて考えさせられる2枚の写真があります。
この写真をご覧ください。何の写真か分かられるでしょうか。
左が縄文時代の住まい。右が21世紀のマサイ族の住まいです。
そっくりですね。
マサイ族の人たちは、今でも縄文時代のような生活をしています。
もう少し具体的に申しますと……
・主食は、家畜の出すミルクと家畜の血液を混ぜたたもの
・エイズが蔓延しており、彼らがいるケニアは5分に3人がエイズで死んでいる
・幼児の死亡率は非常に高く、女性の寿命は40歳から45歳
・平均年収は8万円。(月収ではありません。念のため)
もし、あなたがこんな生活をするとなったら、どうでしょう?
ところがこのマサイ族と年収1兆円を超える大富豪の幸福度は、わずか0.1ポイントしか変わらないのです。
次にこちらのグラフをご覧ください。
内閣府の国民生活白書による調査結果によれば、経済的発展と生活満足度は比例していません。それどころか、経済的に豊かになっても、心の豊かさは一層、減少しているようなのです。
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9990748/www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h20/01_honpen/html/08sh010301.html#131100
実際、21世紀の今、世界で30秒に1人が自殺で亡くなっているといわれます。
一体なぜ、こんなことになってしまうのでしょう。
理由があります。
その理由をお伝えする前に、なぜ私が「幸せ」について考えるようになったか少し話しさせてください。
忘れられない、あの朝
私は、あの朝のことが今でも忘れられません。
今でもフイに思い起こされます。
当時の私はまだ高校生。
あの朝、「だるいなー」とか思いながら、いつもの電車に乗り、いつもの坂道を登り、全校生徒の朝礼にしぶしぶ足を運びました。
周りの友達も、あくびを噛み殺しながら、きっと「早く終わらないかな」と思ってる。
ところが、校長先生が思わぬことを話し始めたのです。
「昨日、我が校の2年生、Aさんが亡くなりました」
瞬間、体育館が静止しました。まるで違う世界に連れていかれたようになり、皆、息をのんで次の言葉に耳を傾けました。
校長先生は静かに私たちを見回し、こう続けたのです。
「Aさんは、生まれながらに体が弱く、他県に出るようなことがない人でした。そんなAさんが、修学旅行にはみんなと一緒に行きたいと願い出たのです。
皆さんも知っての通り、行き先は中国でしたから、心配されたご両親も担任の先生も、とてもムリだと反対しました。
ですが、本人の意思は強く、母親同伴で行くことになったのです。それも最後は、誰も親子でなんか修学旅行に行かないからとAさんが訴え、お母さんも日本に残ることになりました。
彼女は、海を渡り、北京に行き、万里の長城に立ち、無事帰ってきました。
しかし、やはり無理があったのでしょう。その後、病気が悪化し、昨日この世を去ったのです」
幸福観が変わった瞬間
その時、私は、軽いめまいに襲われました。知識としての「死」が実態をもち、私の中に侵入してきたようでした。
息苦しさを感じながら、私は自問しました。
「後輩が死んだ。年上の自分が先でもおかしくなかった。
生きていることは決して当たり前ではないのだ。
どんな人にも等しく死が訪れる。
死が来たら、今、自分が考えている幸せもすべて色あせ、失われる。
結局、人は幸せになれないのだろうか?
ならば、なぜ人は生きるのだろう」
そして、自分の生き方がいかにいい加減で薄っぺらいものであったか、痛いほど気づかされました。
「昨日という一日はあってもなくてもいい一日だった。
あってもなくてもいい一日が重なった一年、一生に、どんな意味があるのだろう?
死んでいくときでも心から満足できる人生を歩みたい。でも、どうすれば……」
初めてもった死生観により、幸福観が大変わりした瞬間でした。
この日から、「本当の幸せとは何だろう」と考えるようになったのです。
ここから紆余曲折が色々あったのですが、幸いなことに、本当の幸せが日本の古典に詳しく書かれていると分かったのです。
おかげで私の場合、一気に壁を越えることができたのですが、縁がなければ今でも「本当の幸せとは何か?」と、モンモンと悩む日が続いていたに違いありません。
文明が進歩しても幸せになれていない理由
それでは話を戻しましょう。
どれだけ、科学や文明が進歩しても、幸福度は変わらないのか。
その理由です。
その理由とは、
幸福に3通りあることを知らないからなのです。
特に、本当の幸せである「第3の幸せ」を誰も知りません。
それはもちろん、怪しげな霊言やらキリスト教的な神による幸せでもありません。
それらとはまったく異なる「第3の幸せ」が、日本の古典には詳しく教えられているのです。
しかも、この幸せは、特別な才能がいるわけでもありません。
たくさんのお金が必要なわけでもありません。
老若男女、誰でもなれる幸せなのです。
なのに、誰も知らない。日本人すら知らないのが現状です。
世界が求める本当の幸せが日本にありながら、日本人がそれを知らない。
これは宝の山に入りながら、何も手にせず山を下りるようなもの。
勿体ないにもほどがあります!
縁あって、「第3の幸せ」を知ることができた私は、「この幸せが書かれてある古典の心を日本全国に、そして世界にも伝えよう!」という願を建てました。
2つの問題が……
ただ、問題が2つあります。
1つは、幸せは心の状態であり「これがその幸せです」と見せられるようなものではないということ。
かといっても専門用語で伝えようとすると、どうしても難しくなってしまいます。
そんな時、本当によいタイミングで、ある出版社から「電子書籍を出版してみませんか?」と声をかけていただきました。
そこで、今回は、基礎知識0から分かるように「入門編」として書籍化することにしました。
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そもそも「幸せとは何か」ということから始め、徐々に幸せの本質が分かるように書かれてあります。
もう1つの問題は言葉の壁です。
これは、これからの課題ですが、まずは日本の皆さんに知っていただくことを目標としました。
広く「第3の幸せ」が広がれば、それを海外の言葉で伝えてくれる人も、ドンドン現れてくると思います。そのことに期待したいと思います。
この理念に賛同される方は、ぜひご協力ください。
すべては、まず、あなたがこの一冊の本、200ページほどのこの本を読まれることから始まります。
200ページといっても行間をたっぷりとり読みやすくし、写真や具体的な事例なども多く盛り込んでいますから、あっという間に読み切れると思います。
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では、本の中でお会いいたしましょう!